樋口陽一「ふらんす」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「考えて見れば、人は人にとって狼である、万人の万人に対する闘争がある、だから人々は約束をとり結び、国家をつくり、税金を払って、一人一人の安全を確保させるのだ、というのがホッブズの社会契約論でしょう。ただし、その国家は、託されたはずの約束を忘れ、それどころか、それと正反対に、国家みずからが人々の安全を侵害し人権を侵害する役をあまりにもしばしば演じてきました。だから国家に対する自由が大事なのだというのが、同じ社会契約論でも、自由のほうに力点を置くジョン・ロックでしょう。安全と自由とは、近代国家にとっての二つの基本価値なのです。」

 

「今、やっかいなのは、言うところの「テロ」による脅威に加えて、ささやかな一人ひとりの市民による理不尽な行動が、人々をうろたえさせています。太陽がまぶしいかったから人を殺すという、あたかもアルベール・カミュが『異邦人』で描いたような、まさに『不条理』です。それと同じではないが遡って、ラスコーリニコフなど、ドストエフスキーの世界でもいいですね。」

 

「鋭敏な嗅覚をもつそういう作家だかぎつけていた、一人ひとりが一人ひとりの安全を脅かす危険というものを、毎日の新聞を開くと否応なしに人々が目にする。そうなると、国家権力を強くして安全を維持してもらいたいというふうになっていくのが、むしろ自然ですけれども、果たしてそれでいいのか、というふうに立ち止まる必要があります。安全のために自由を犠牲にするものは、自由と安全とのその両方を失うだろうというのは、今までの歴史的経験から言ってもそうですね。そういうディレンマの前に、日本とフランスを含めた社会は立たされているわけです。」

 
共謀罪法案、このまま成立させていいのだろうか?