エッカーマン「ゲーテとの対話」その6 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「『私は、たいへん得をした』と彼はつづけた、『つまり、最大の世界史的事件が、まるで日程にのぼったかのように起こり、それが長い生涯を通じて起こりつづける時代に生まれあわせたからだ。おかげで、七年戦争をはじめとして、アメリカのイギリスからの独立も、さらにはフランス革命も、最後にはナポレオン時代の全部、この英雄の没落とそれにつづく諸事件にいたるまで、一切を私は、この目でみた生き証人なのだからね。このため、私は、現在生まれてくる人たちが持つかもしれないものとは全く違った結論や判断に達したのだ。彼らは、例の大事件を、書物を通じて学ぶほかはないし、それだと真実は理解できないのだ。』」


『これから何年か先、どんなことが起こるか、予言などできるものではない。だが、そう簡単に平和はこないと思う。世の中というものは、謙虚になれるような代物ではない。お偉方は、権力の濫用をしないではおれないし、大衆は漸進的改良を期待しつつ、ほどほどの状態に満足することができない。かりに人類を完全なものに仕上げることができるものなら、完全な状態というものもまた考えられよう。けれども、世の中の状況というのは、永遠に、あちらへ揺れ、こちらへ揺れ動き、一方が幸せに暮らしているのに、他方は苦しむだろうし、利己主義と妬みとは、悪霊のようにいつまでも人びとをもてあそぶだろうし、党派争いも、はてしなくつづくだろう。いちばん合理的なのは、つねに各人が、自分のもって生まれた仕事、習いおぼえた仕事にいそしみ、他人が自分のつとめを果たすのを妨害しないということだ。靴屋は、靴型の前にいつもいればよいし、農夫は、鋤を押していればよいし、君主は国を治める術を知ればよいのだ。というのは、政治というのもまた、学ばなければならない職業の一つであり、それを理解しないような者が、差しでがましいことをしてはいけないのだ。』


 1824年に語られた言葉である。