塩野七生「ローマ人の物語Ⅺ」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「マルクス・アウレリウスは、後世の人が『自省録』と名づけることになる一書を遺している。これを残したことによって哲人皇帝と呼ばれるようになるのだが、『自省録』の表題からもわかるように、学問的に哲学を論じた著作ではまったくない。ローマ皇帝である彼にとっては公務の一つであった蛮族撃破の戦場で、戦いの合間に自らの想いをつづった小冊すぎない。ただし、少年のころより哲学に親しんできた人らしく、内容と思索に満ちた一書として知られている。『古代人の倫理の最上の発露』であり、『高貴な魂の真摯な叫び』であるとが、西欧近代の知識人たちから寄せられた賛辞であった。プラトンも、哲学に親しむものが政治を担当するのが国家にとって理想である、と言っている。このプラトンの言が妥当であるか否かの議論は別にして、啓蒙主義を経験して後の近現代の知識人にとっては、マルクス・アウレリウスこそが、プラトンの理想が史上一度だけ実現したケースに思えるのだろう。『人間は公正で善良でありうるかとなどと、果てしない議論をつづけることは許されない。公正に善良に行動すること、のみが求められるときが来ている」これが、大帝国ローマの最高権力者の『声』なのであった。」


「この『声』につづくは『肉体』だが、ローマの七つの丘の一つであるカピトリーノの丘にいまなお遺る、マルクス・アウレリウスの騎馬像がそれである。これはもう、プラトンを知らない人にも『自省録』を読んでいない人にも、一見しただけでその素晴らしさがわかる至高の傑作だ。古代から現代までの二千年間に制作された騎馬像の正確な数は知らないが、たとえそれが何万になろうとも、マルクス・アウレリウスの騎馬像の第一位には変わりはないと確信する。なにしろあのミケランジェロに、活かす気にさせたくらいなのだから。」


 自省録を読むための下準備

ちなみに、マルクス・アウレリウスの騎馬像はこれ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E9%A6%AC%E5%83%8F#mediaviewer/File:Marek_Aureliusz_Kapitol.jpg