ギッシング「ヘンリ・ライクロフトの私記」その8 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「読んだ後で少しも後味の悪くない本――たとえば愛する偉大な詩人たちや思想家たちや、心を宥め静めてくれるしみじみとした文人たちの作品を友として残り少ない時間を費やす方が賢明であるかもしれぬと思う。そう思ってみると、多くの書物が書棚から、あたかも私を非難しているかのように私を凝視しているように感じられる。私が二度とそれらを手にしないとでもいうのであろうか。だがそこに書かれている言葉はすべてこれ珠玉の文字なのだ。私はできるならそれらを皆心の底深く銘記しておきたいくらいなのだ。私のこのような、知識を是が非でも求めてやまない心の習性はおそらく私の不治の病ともいえる欠陥であるかもしれない。昨日も昨日とて、とても読み通すことなどおよびもつかないような、大きな学術書を少しのところで注文するところではなかったか。そんな書物を読んだところで、要するに貴重な時間を浪費するに役立つだけの話であろうと思うのだ。私の現在なすべきことは、ただ『楽しむ』ことだということを、どうしても自分で率直に認めることができないというのも、おそらくは私の血の中に流れている清教徒の精神のせいだろう。何よりも楽しむことだと悟ること、これこそ知恵というものなのだ。知識を貪るときはもう過ぎてしまった。新しい語学を勉強し始めるほど私は愚かではない。なぜ私は、過去の歴史に関する無駄な知識を頭につめこもうとしているのであろうか。死ぬ前にもう一度、『ドンキ・ホーテ』をぜひ読みたいと思う。」


 壁の書棚にある本の中から、もう一度ゆっくり読んでみたい本を100冊に絞ることができるだろうか。二度と読まないであろう本を処分していく方法でやろうか。