ピーターF.ドラッカー「自己探求の時代」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「ほとんどの人間にとって、労働とは肉体労働を意味していた時代には第二の人生を考える必要はなかった。それまでやっていたことを続けていればよかった。製鉄所や鉄道会社では40年も働けば、後は何もしないで幸せだった。ところが、今日、労働とは知識労働を意味するようになった。知識労働者は、40年働いても終わりにはならない。単に退屈しているだけである。今日、経営幹部クラスの中高年層の危機がよく話題になる。原因は主として倦怠である。45歳ともなれば、仕事上のピークに達する。そう自覚もする。20年も同じことを続けていれば、仕事はお手のものである。ただし、もはや学ぶことも、貢献することも、心躍ることも、満足することもない。だが、あと20年、25年は働ける。したがって第二の人生を設計することが必要となる。」


「第二の人生をもつには、一つだけ条件がある。本格的に踏み出すはるか前から、助走していなければならない。労働寿命の伸長が明らかになった30年前、わたしを含む多くの者が、ますます多くの定年退職者が、非営利組織でボランティアとして働くようになると予測した。だが、そうはならなかった。四十歳、あるいはそれ以前にボランティアを経験したことがなければ、六十歳になってボランティアになることは難しかった。」


「知識労働者にとって、第二の人生を持つこと、しかも若いうちから持つことが重要なのには、もう一つの理由がある。誰でも、仕事や人生で挫折することがあるからである。昇進し損ねた有能なエンジニアがいる。十分な資格がありながら、有名大学の教授になることが絶望的になった四十二歳の立派な教授がいる。離婚や子供に死なれるなどの不幸もある。そのような逆境が訪れたとき、趣味を超えた第二の関心ごとが大きな意味をもつ。そのエンジニアは、現在の仕事ではうまくいかないことを知る。しかしもう一つの仕事、たとえば教会の会計責任者としては立派な仕事をしている。あるいは、家庭は壊れたかもしれないが、もう一つのコミュニティが残されている。」


「これらの機会を持つことは、成功が極端に大きな意味をもつ社会では、きわめて重要である。そもそも人間社会は、成功なる概念はなかった。これまでの人間は、祈りの言葉にあるように、『みずからに備わった身分』にいられることが最高だった。そこから動くとすれば、身分を下がるしかなかった。しかし、これからの知識社会では、成功が当然のこととされる。だが、全員が成功するなどということはありえない。ほとんどの者にとっては、失敗しないことがせいぜいである。成功する者がいれば失敗する者がいる。」


「したがって、一人ひとりの人間およびその家族については、何かに貢献し、意味あることを行い、ひとかどであることが、決定的に重要な意味をもつ。ということは、リーダー的な役割を果たし、敬意を払われ、ひとかどとなる機会としての第二の人生、パラレル・キャリア、篤志家としての仕事は重要だということである。」


 Harvard Business Review のなかの論文の一つである。他とは少し毛色が異なっていた。