細川護煕「不東庵日常」から | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「わたしは現在、湯河原に引っ込んで山居暮らしをしている。ほとんど新聞も読まず、テレビも見ない。そのほうがかえって物事の本質がよく見えるように思えるからだ。私の今の心境は、まさに兼好法師のいう『日暮れて塗遠し、吾が生既に蹉駝たり。諸縁を放下すべき時なり』」


「あまり先の長くもない人生、五十代までは、俗事に追われて過ごしてきた。それはそれで悔いはないが、六十になったら晴耕雨読と、若いときからかたく心に決めてきた。ここまできたら、これからは世の中の些末な事、ブッシュ大統領が来たから皇居の晩さん会に来てほしいとか、新しい総理官邸のパーティに出てくれとか、そんなことに振り回されたくない。ただひたすら自ら内なる声に忠実に、自由な心で生きていきたい、と兼好法師と同じように私もそのとおり実践している。セネカもいうように、『生きることを止める土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅し』なのである。」


 なんで選挙なんかに出たのだろう。