「丸山眞男座談セレクション」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「明治時代の初めの20年前後の間に、日本の明治維新の根本的な大きな布石が決まったというお話ですが、あの中の一番大きな出来事は何かといいますと、なんといっても伊藤博文が明治15年に、日本の憲法すなわち明治憲法をつくるために外国に調査に出かけて、ことにドイツに行って意見を聞いたり調べたりして帰ってきますね。伊藤博文の何かの記録にありますけれども、さすがにドイツをはじめヨーロッパの諸国はキリスト教というものが国民的な信仰の中にあり、その上に国家がちゃんと立てられている、そういう精神的な基礎が国民にある。このことは実にうらやましく思ったというのですね。さらばといって日本の憲法をつくるについては、キリスト教を採用することはもちろんできない。そこで伊藤博文の案として、ごらんのとおり皇室を中心として、したがって神道というものと結びついて一つの信仰を前提にして、あの憲法を制定した。これがいちばん大きなことではないですか。したがって外国の憲法のように、単なる法律の根本法というだけではなしに、当時の精神的な日本の基礎を宣明したということになる。」


「精神的機軸をそこにつくったということですね。したがって教育勅語は、憲法と相まってできた。教育勅語は明治23年、憲法は22年にできている。この二つによって日本の近代国家というものの装いのみならず、皇室を中心として日本精神というものを基軸とする日本国家ができた。このことは、歴史的には明治以前の日本の歴史に基礎はおいているけれども、それ以上にヨーロッパの近代国家と競争するために、言い換えれば日本を近代国家につくりあげるために、大急ぎでそういう精神を特に強調し、また忠君愛国の精神を特に前面に持ってきて教育勅語にうたったのですね。それが、こんどの昭和の初年から中期にわたる、太平洋戦争でさらに拍車をかけられ、それが集中していって、要するに外国には全然ない万邦無比の国体という概念をそこから生んできた。国体というものは、教育の面からも日本の精神的・文化的面においても、道徳の面においても政治の面においても、いっさいを含む、つまり国家、日本国家というのが価値の全体ですね。絶対価値的な、そういうものを押し立てていった。その基礎がいま申した明治憲法とそれと姉妹的な教育勅語の二つであり、それが、戦争中に極端になっていったということになるのではないですか。これが根本だと思う。」


 丸山眞男と南原繁による『戦後日本の精神革命』という座談での南原の発言から抜粋