小室直樹「日本人のためのイスラム原論」その12 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「プロテスタンティズムが徹底し、エトスの変換が起こると、ヨーロッパでは利潤の追求が熱心になされるようになった。なぜか。」


「資本主義の担い手になった『中産的生産者層』(大塚久雄)の人々は、こう考えたのである。『隣人たちが本当に必要としている、あるいは、手に入れたく思っているような財貨、それを生産して市場に出す。しかも、あの掛け値を言ったたり値切ったりして儲ける。そういうやり方ではなくて、『一ペニーのものと一ペニーのものとの交換』、つまり正常価格で供給する、というやり方で市場に出す。そして、適正な利潤を手に入れる。これを貪欲の罪どころではなくて、倫理的に善い行いではないか。いや、端的に、神の聖意にかなう隣人愛の実践ではないか。そう問いつつ、彼らはさらにこう考たのです。もし自分たちが生産している財貨が、本当に隣人たちが必要とし、手に入れたく思っているものであるならば、それは必ず市場でどんどん売れるに違いない。そうすると、当然そこには利潤が生まれてくる。そうだとすると、その利潤は、商人たちの獲得する投機的な暴利や高利貸しなどとはまるで違って、むしろ隣人愛を実践したことの現れということになるのではないか』(大塚久雄『社会科学における人間』)。ここにおいて、キリスト教は商業や利潤を徹底的に排撃する宗教から180度転換し、近代資本主値を擁護し、利潤追求を奨励する思想となった。『資本主義の精神』が発生したのである。」


 話はクライマックスになってきた。