小室直樹「日本人のためのイスラム原論」その11 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「伝統主義とは、『過去に行われてきたという、ただそれだけの理由で、将来における自分たちの行動の基準にしようとする倫理』を指す。これを喩えてウェーバーは、伝統主義を『永遠なる昨日的なもの』と呼んだ。この伝統主義は、まさに中世のヨーロッパをがんじがらめに縛り付けていたのだが、ひとたびプロテスタンティズムが現れると、伝統主義はヨーロッパから放逐されてしまったのである。」


「この伝統主義の破壊に拍車をかけたのが、カトリック修道院の中にあった『行動的禁欲』の世俗化である。『行動的禁欲』とは、『行動するため』に他のことを断念する禁欲である。日本人が禁欲と聞いて連想するのは、断食やセックス断ちのような『何かをしない禁欲』だが、キリスト教の行動的禁欲は、それとは正反対である。信仰のためには、一秒、一瞬、一刹那たりとも懈怠せず行動すべし!これこそが、行動的禁欲である。」


「この行動的禁欲の精神は、『祈りかつ働け』というスローガンの下、カトリック修道院では行われていたのだが、それがプロテスタンティズムによって世俗の信者に解放されたのである。さらに加えて、禁欲的プロテスタンィズムでは、世俗の仕事こそが神から与えられた使命であるという思想が強調された。これをルターは『天職』と呼んだのだが、カルヴァンはこの『天職』思想のなかに、行動的禁欲を押し込めたのである。」


「かくして、宗教改革以後のクリスチャンの間には、『行動的禁欲によって天職を遂行すれば、救済される』という思想、もっとわかりやすく言うならば『労働こそが救済である』という思想が確立した。この『労働こそが救済である』という思想こそが、『資本主義の精神』の母胎となったのだというのが、ウェーバーの指摘なのである。」