佐伯啓思「西田幾多郎」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「西洋の哲学は、人との対話によって、いわば知識が前へ前へと進化する方向へと向かうのでしょう。対話(ダイアローグ)は、やがてヘーゲルのような『弁証法(ディアレクティーク)』になるのです。まずは自分の勝手で素朴な思い込みから始まります。しかし他者と出会うことで、自分の思い込みを自覚し、異なった考えとつき合わせ、そしてより進んだ知識へと『進化』するのです。これが弁証法というものです。」


「さらにまた、ソクラテスの方法は、広場で公衆を前にして議論するのですから、知識は他人にもわかるように公共的なものでなければなりません。ここに、誰でもわかる『論理』というものがでてきます。ソクラテスがどれほど奥さんに悩まされ家庭にうんざりしていても、そんなことは哲学とは何の関係もありません。個人の感情や経験と『論理』は関係ありません。それが公共的ということでした。」


「これに対して、わが哲学者、西田は、ひたすら歩きながら沈思黙考したのです。自己の内に沈潜し、自己内対話を行っていた西田の哲学は、ひたすら自己と向き合い、自己のうちに反省し、自己の底を覗き込もうとします。その底を突き破って、その果てに普遍的で絶対的なものを見出そうとしたのでした。」


「そこには、ずっと西田の心痛の種であった家族の不幸があり、襲いかかる苦悩がありました。経験こそがすべてだったのです。それをとことん掘り下げてその底にあるものを取り出そうとしたのです。それを取り出すことが彼の生そのものであり、そこに、西田独自の哲学は生み出されたのでした。」


「私は、ここに、広場から始まった西洋の哲学と、道から生まれた日本の哲学の決定的な違いを見たくなるのです。あるいは対話から始まった西洋的思考と散歩が生み出した日本の思考といってよいかもしれません。もっとも、それが日本には論理的思考や体系的哲学は生まれなかった理由なのかもしれません。西行にせよ、鴨長明にせよ、吉田兼好にせよ、松尾芭蕉にせよ、『日本』独特の思索者は、旅人だったり、隠遁者だったりします。基本的に自己内対話型なのです。もっとも、もう少し西洋的な儒学者は、伊藤仁斎にせよ、中江藤樹にせよ、塾生との対話をしましたが、これも対話というより、教師と弟子の関係だったのでしょう。」


 丸山真男『自己内対話』