佐伯啓思「西田幾多郎」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「西田は、すでに京都大学に来る前、金沢の四高にいた時分から、『デンケン先生』と呼ばれていました。デンケンとはドイツ語で『考える』の意です。西田は京都に赴任してきてすぐの書簡で、銀閣寺のあたりを散策する、といったことを書いていますから、このあたりが気に入っていたのでしょう。別に『哲学の道』を歩いたわけではありません。西田が歩いたところが『哲学の道』になっただけのことです。」


「しかし考えようによっては、これは存外、大事なことかもしれません。なぜなら、哲学とはもともと人が生きる『道』をさし示すものだからです。このいい方が少し大げさなら、生きる方法を暗示するものだといってもいいでしょう。それは『最初』の哲学者であるソクラテスがすでに述べていたことでした。ソクラテスにとっては、哲学(知を愛すること)とは、人が善く生きるための指針だったのです。それは『誤った思考』から人を救い出し、真理への道を示すものでした。」


「『誤った思考』とは自分勝手な思い込みであり根拠のない思惑、つまり『ドクサ』です。思い込みは誰にもあります。しかしそれをもって自分は知者である、というのは単なる思い上がりで、それでは人は善く生きることはできません。だから、この思い上がりを捨て、自らの無知を自覚することが哲学の第一歩なのです。そのためにソクラテスがとった方法は『人との対話』でした。ともかくこの議論好きな男は、しょっちゅうポリスの広場へでてきては他人と対話をしたのでした。」


「それと違い西田がやったのは『散歩』です。歩きながら『考えること』でした。彼が考えることで、そこに『道』ができたのです。西田にとって、哲学とは生きることそのものであり、生という事実に直結した営みだったのです。『人生問題なくして何処に哲学というものがあろう』と彼は書いています(『プラトンのイデヤの本質』)。自分自身の人生をどのように生きるのか、そして、日常生活に襲いかかってくる悲惨や苦難をどう処遇すればよいのか、こうした人生上の、あるいは生活上の問題に対して、解決とまでいかなくとも、あるべき方向を模索するための道具が哲学だったのです。善き生のための『道』を求めていたといってよいでしょう。その意味ではギリシャの最初の哲学と大差はありません。」


 京都にある『哲学の道』とは、西田幾多郎にちなんでつけたものだという。