リチャード・ニクソン「指導者とは」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「私はよく若い人から、公職に立候補して成功するための覚悟について問われる。知性、政治的本能、性格のよさ、自己の主張への信念・・・・いろいろあるが、それを持っている人は多い。ただ、政治家として成功する不可欠な条件、すべてを得るためにすべてを賭ける用意のある人は、きわめて少ないのである。敗北を恐れる者は、一流の政治家たり得ない。猪突猛進はいけないが、大胆でなければやっていけない。資金も潤沢、党本部の支援もあり、世論調査も有利だ、だから立候補したいという人には、私ははっきり『やめなさい。あなたは成功しません』という。政治家チャーチルは、生涯一貫して大胆だった。ときには猪突もした。だが、一度も、敗北を恐れなかった。」


「チャーチルの転党は、大変ショック波を起こした。友人の多くが立ち上がって、彼を恩知らずのオプチュニスト、人を利用して議員になりながら、英国社会の階級構造をめちゃくちゃにする悪党の群れに投じる男と罵った。チャーチルは屈せず、大胆な選挙制度改革を主張し、漸進的な政策を排し、被選挙権の大幅拡大を唱えた。庶民参加による民主主義を願う人々とともに政治の水門を開き、下層階級を英国の政治の中に招いたのだった。」


「だが、そんなチャーチルに対する感情的な反撃は、厳しかった。のちに彼は、『私は行動によってもマナーによっても、多くの人から長期的に愛されたとは言いがたい』と書いたが、当時はそんな生やさしい空気ではなかった。先日まで偉大な才能と洋々たる前途を祝福してくれた人々が、彼を不可触賤民のように扱った。チャーチルは『プレナムのどぶねずみ』とニックネームがつき、ロンドンの社交界から締め出された。この反チャーチル感情は長く尾を引き、十一年後に戦時挙党内閣ができたときも、保守党は彼の入閣拒否を参加の条件とした。」


「しかし、反感は長く死ななかったものの、結局はそれを抱いた人々が、時の流れとともに死んでいった。『幸福に生きるのが最高の報復』ということわざがあるが、政治の世界では、『だれより長生きすることこそ究極の復讐』なのである。」


 かなりおもしろい