リチャード・ニクソン「指導者とは」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「小さな人物が、偉大な国家を偉大な機会に当たって指導すれば、偉大な結果は起こり得ない。小さな国の偉大な指導者は、偉大には違いないが、正しく評価されないだろう。また、偉大な人物が偉大な国家に生まれ合わせても、より大きい人の影に隠れることがある。たとえば周恩来は、慎重に身を持し、生涯、脚光を毛沢東に譲り続けた。」


「一つだけ、はっきり書いておきたいことがある。偉大な指導者は、必ずしも善良な人ではないことである。ロシアのピュートル大帝は、残忍な暴君だった。シーザー、アレキサンダー大王、ナポレオン、いずれも善政より征服によって、歴史に残っている。われわれが偉大な指導者を考える場合も、国家を倫理的に高い次元に高めた人のことは、あまり思い出さない。権力を壮大な規模において行使し、国家や世界に歴史の流れを変えた人々を、つい念頭に浮かべてしまうのである。チャーチルとスターリンは、それぞれに異なった意味で、偉大な指導者だろう。だが、チャーチルがいなければ西欧は奴隷になっていたかもしれないが、スターリンがいなければ東欧は自由を握っていたかもしれない。」


「歴史書は、もっぱら出来事のみを追い、そこに動く人物に言及することが少ない。この本は指導者を中心に、彼らがいかに出来事を作っていったかを書く。彼らがいかに常人と違うか、彼ら相互の間でいかに異なるか、彼らに力を振わせた性格、いかに権力を振るったかについても考える。」


「偉大な指導者は、単なる力とともに、非常に高度な眼力をも必要とする。一種の芸術である。アメリカには、ずっと前から、国家に必要なのは政府を手際よく動かす経営術であり、大企業を有効適切に経営してきた実績のある人が望ましいという考えがある。だが、経営力と指導力とは別物である。私は南カリフォルニア大学経営学部ウォレン・G・ベニス教授の『経営者にとっては、事を正しくやることが目標であり、指導者にとっては正しいことをやることが目標だ』という言葉を思い出す。」


 本書は、チャーチル、ドゴール、マッカーサー、吉田茂などの指導者の人物評