井筒俊彦「イスラーム生誕」その5 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「Islamとは字義的に何を意味するか。先ずそのことから語り始めることにしよう。イスラームという語の最も基本的な意味は、無条件的な自己委託、自分を相手に引き渡してしまうこと。自我の意志、意欲に由来する一切の積極的な心の動きを抑え、自分を完全に放棄して、すべて相手の意のままに任せきることである。勿論、宗教的コンテクストにおいては、自分をこのようにゆだねる相手は神である。すなわち、断固として自我の意欲を切り棄て、すべて神の心のままにうち任せ、神のはからいがどうあろうともその結果の好悪については敢えて問うまいという主体的な態度をそれを意味する。一言をもってすれば、神への絶対無条件的な依存の態度である。」


「かつてシュライエルマッヘルは宗教学におけるその古典的著書の中で、宗教の根源的基盤を「依属感情」として規定した。いうまでもなく、プロテスタント神学者としての彼が宗教をこのような概念で規定したとき、彼の脳裏にあったものはキリスト教だった。人格的一神教だけを正統的な宗教とする、というふうに頭から決めてかかるならいざ知らず、もう少し宗教なるものの概念を広くとって、例えばヒンズー教や仏教のような精神的伝統までその範囲内に入れて考えるなら、「依属感情」ではそれらの宗教のいわゆる自力的部分を覆うことができない。つまり「依属感情」はすべての自力的宗教にたいていは全く無力であり、その限りにおいて、普遍性を欠く。」


「だがそのかわり、世界に諸宗教の中で特にセム系の人格的一神教――具体的にはユダヤ教、キリスト教、イスラーム――の宗教性には、「依属感情」という概念はそのままぴたりとあてはまる。わけてもイスラームは、名称そのものがすでに絶対依属、絶対依存なのであり、要するに相手に頼りっきりという意味なのだから。」


 一つ一つの概念を正確に理解していくこと