井筒俊彦「イスラーム生誕」その6 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「ムハンマドには、一つの新宗教を創始しようというような気持は全然なかった。彼が意図したのは、『アブラハムの宗教』の復活、すなわちアブラハムに体現された純正な一神教的宗教を再び昔日の本源的姿にたちかえらせようとすることにつきていた。第一、理屈からいってもイスラームが新しい宗教でありうるはずがない。神に己のすべてを引き渡す、つまり絶対的帰依という意味での『イスラーム』は、すでに預言者アブラハムの興した宗教の精神そのものとして歴史的に現成しているのだから。」


「心愚鈍な者ならいざ知らず、そうでなくて何人が一体アブラハムの宗教を嫌悪しようか。アブラハムこそは、我ら自身がこの世で特に選んだもの。来世においてもまた正しき人の内に数えられるべきもの。主、アブラハムに向い『帰依せよ』と言い給えば、『帰依奉る、万有の主に』と彼は答えた。かくてアブラハムは、この(帰依の精神)の棒持を己が子らに遺言し、ヤコブまたこれに倣ったのであった。『聞け、子供たち。この宗教こそは、お前たちのために神が特に選び給うたもの。さればお前たち、必ず帰依者として最後をまっとうするのだぞ。」


「ムハンマドにとって、アブラハムは人類史上最初の『ムスリム』だ。勿論、『永遠の宗教』の伝統は彼の以前にも連綿と存続して来たし、長い歴史のさまざまな段階で、次々に預言者が現れ、使途が遣わされてもした。だが、絶対帰依、すなわちイスラーム――を正面きって宣言し、それを自分の宗教の公式の原理として樹立したものは、アブラハムの前にはいなかった。今、ムハンマドはこの『イスラーム』の行者アブラハムの直接の後継者として自らを意識する。ただ、ムハンマドの宗教意識において、彼がアブラハムとも違い、他の先行する一切の預言者とも違う点は、彼がこの『永遠の宗教』を支える長い預言者系列の最後であるということであった。」


 ムハンマドとイスラームがここでつながるとは