イスラーム世界の成立(山川世界史)より | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「7世紀の初め、唯一神アッラーの啓示を受けたと信じ、神の使徒であることを自覚したムハンマド(マホメット)は、アラビアのメッカで、偶像崇拝をきびしく禁ずる一神教をとなえた。これがイスラーム教のはじまりである。その聖典『クルアーン(コーラン)』は、ムハンマドにくだされた啓示を、彼の死後あつめ、編集したものである。」


「多神教を信じるメッカの人々の迫害を受けたムハンマドは、622年、メディナに移住(ヒジュラ〈聖遷〉)し、この地に彼自身を最高指導者とする信徒の共同体(ウンマ)をつくった。この622年はイスラーム暦の元年とされている。その後ウンマの拡大に成功したムハンマドは、彼に従う信徒をひきいてメッカを征服し、多神教の神殿カーバから偶像をとりのぞいて、これをイスラーム教の聖殿とした。こうしてムハンマドが死ぬまでには、アラビア半島のほぼ全域がその共同体の支配下にはいった。」


「イスラーム教の預言者ムハンマドは、570年ころアラビアのメッカに生まれた。幼くして両親を失い苦労するが、長じると遠隔地交易に従事し身を立てるようになった。彼の商人としての才覚を認めた資産家の未亡人ハディージャは、彼に結婚を申し込んだ。ハディージャ、40歳、ムハンマド、25歳のときと伝えられる。二人の間には、子が生まれ、商売も順調だった。しかし、ムハンマドが40歳になるころ(610年ころ)、異常な宗教的体験の結果、彼は自らを唯一神アッラーの預言者と自覚するようになった。妻が最初の信者になったという。その後、布教をおこなおうとするムハンマドに多くの迫害が加えられたが、さまざまな手段によってそれをのりこえ、布教を開始してからおよそ20年後にはアラビア半島の大部分をその政治的影響力のもとにおくようになった。

その意味で、彼は、宗教家であるとともに、有能な政治家でもあった。また、ハディージャの死後めとった最愛の妻アーイシャのひざの上で息をひきとったというエピソードからもわかるように、他の大宗教の開祖と異なり、最後まで1人の生身の人間であった。」


 教科書には基本的なことがすべて載っている。