Journalism(反知性主義に抗うために)その4 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「経済学は現状分析の正しさや見通しの的確さが常に求められる。しかし、政治学は果たして有効だろうかなどと問われることはほとんどない。政治を科学的に分析することの困難さはあるにしても、問われるほど期待されてはいないということなのかもしれない。1947年丸山真男は『科学としての政治学』という論文で、政治学の不毛さをこう喝破した。『現実生活における政治の圧倒的な支配力と、それを対象するする学問の恐るべき発育不良と――そのコントラストが今日ほど鋭く世人の目に露呈された時代はない』」


「それから67年たった今も、その状況はいささかも変わっていないように思える。ただし、当然ながら例外はある。丸山の戦後の政治学関連の論文やエッセーを集めた『政治の世界』が今年2月に出版された。収録された論文はその時々に読んでいたが、まとまって読んで驚きを禁じ得なかった。現在の政治状況を予見しているのである。優れた学問とは、何十年たっても決して輝きを失わないということを教えてくれた。」


「政治の本質は人間の人間に対する統制を組織化することにある。それゆえ、人間存在のメカニズムを知悉していなければならない。政治学とは究極的に『人間学』なのである。政治的な責任とは徹頭徹尾『結果責任』である。政治からの逃避はそのまま現状追認となって専制主義を許してしまう――政治に対する鋭利な原理的分析は、そのまま鋭い現実批判になっているのである。」


「政治的リアリズムとは、『政治は悪さ加減の選択である』という福沢諭吉の言葉に代表されるような相対思考、さらには政治における『悪』を自覚することにほかならない。そう丸山は説いている。さらに、『政治的アパシー(無関心)』の日常化がデモクラシーを胎内から蝕み、空洞化させることにも警告を発した。50年以上も前の講義とは思えないほど今日的な問題意識に満ちているのである。」


 読売新聞特別編集委員橋本五郎の論説からの抜粋である。