仲正昌樹「マックス・ウェーバーを読む」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「カルヴィニズムは、フランス生まれで、ジュネーブを拠点として活動した神学者カルヴァンによって確立されたプロテスタントの教義で、絶対的な神中心主義、聖書の権威の強調、全ての人間は堕落しているとする全的堕落説、救われる者と救われない者があらかじめ定められている二重予定説などを特徴とする。カルヴィニズムの教えに基づいて、『職業』を神から与えられた使命と考える人がいた。それは『職業(Beruf)』において大きな実績を上げることができる人は、神から予め『召命(Beruf)』されていた、という考え方である――ドイツ語の(Beruf)には、『職業』という意味と、『召命』という意味がある。」

 

「ここからウェーバーは、カルヴァン派など、プロテスタント諸派に見られる「職業=召命」観こそが、『資本主義の精神』の根源になったという仮説を立てる。神に対する強い信仰が、近代における資本主義発展の原動力になったとする、かなり逆説的な仮説である。逆説的に見えるのは、『資本主義』が、単に各人が職業に勤しむことを奨励するだけでなく、職業によって得られた金を蓄えたうえで、『資本』として投資して、利潤を獲得することを本質としているからである。つまり、金もうけを目標として設定しているわけである。こうした利潤追求は、キリスト教の伝統的な教えと対立するように思われる。」


「キリスト教には、利潤追求を卑しいこととみなす考え方がある。特に利子をとって金を貸す金融は、キリスト教の教義では禁止されていた。旧約聖書の『出エジプト記』や『申命記』で、神はイスラエルの民に対して、自分の同胞に利子をとって金を貸すことを禁じている。中世イタリアの神学者トマス・アクィナスなども、利子は神の摂理に反するという見解を示していた。むろん、中世にも金融業者など、利潤追求に従事する人たちはいたが、彼らは自らの行為が教会の教えに反するのではないか、来世にとって良くないことではないかと恐れ、教会への寄進等によって許されようとした。利潤追求は、寛容されているにすぎなかった。そのため非キリスト教徒であるユダヤ人が金融の主たる担い手になった。」


 資本主義とキリスト教に関する前提知識が必要