小倉紀蔵「韓国は一個の哲学である」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「朝鮮時代の朱子学的人間観・自然観は、〈理〉と〈気〉とで説明される。」 


「〈理〉とは、今の言葉でいえば心理・原理・倫理・論理・心理・生理・物理などの総称である。つまり、近代に入り西欧の影響を受けて〈理〉はそれらの概念に粉砕され細分化されてしまったが、それ以前は燦然と一体化した輝ける一つの〈理〉だったのである。そしてこれは普遍的な規範であり、道徳性であった。それゆえ伝統的な心理学や物理学は道徳志向的なものであり、西欧近代のそれとはまったく異なるのは、いうまでもない。〈理〉は天理として唯一かつ純然であり、全存在は天から〈理〉を与えられている。朱子学は『性理学』ともいわれているがこれは人間の性(セックスとかジェンダーのことではなく、天から与えられた人間の本性)はもともと〈理〉である。つまり道徳的には完璧な善である、という『性善説』の哲学なのである。」


「〈気〉というのは、今の言葉でいえば、物質性だ。すべての物は〈気〉でできている。木や水や山や動物も、すべて〈気〉から成っている。生物は、〈気〉が凝結すれば生まれ、散ずれば死ぬのである。〈気〉は、大きくいえば一つ(一気)であるが、陰と陽の二気に分けられる場合もあり、また木・火・土・金・水の五行に分けられもする。これらは別々のものなのではなく、次元の違いなのである。〈気〉を西欧の概念で表すと、最も一般的なのは、ether(エーテル)、material force(物質力)、vital force(生命力)などとなる。宇宙に充満し運動する有機体的な生命力であり、全物質の素、それが〈気〉なのだ。〈理〉は形而上の原理で、〈気〉は形而下の素材である。だから人間も〈理〉と〈気〉が合体してできている。その肉体は〈気〉で、人間としての道徳性が〈理〉である。」


 最初なので、ほぼ全文を抜粋した。だんだん言葉が馴染んでくるのを感じる。