小倉紀蔵「入門朱子学と陽明学」その4 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「儒家の『愛』という概念において最も強力なのは、その『差等』という考え方である。愛はすべてに対して平等ではなく、相手が自分にとって親しいか親しくないかによって差がある、という考えだ。これは儒家の対抗思想集団であった墨家が強力に打ち出していた『兼愛』とう考え方と競争する。墨家の兼愛は今でいう博愛に近い概念であった。」


「墨家の兼愛に対して儒家は、そのような考えは人間の本性に背馳していると激しく怒る。人間にとって最も大切な人は自分の親と子である。この最少情愛ユニットへの強烈な愛着ぬきに、人間の本性を規定することなどまったくできない。ここがすべての基本なのである。」


「ただ、人間が人間たるゆえんは、この最少情愛ユニットへの愛情を排他性として規定せず、包摂性として規定するところにある。つまり、親や子を愛するという最も自然で強力な感情を、少しずつそのまわりにひろげていけるのが人間であり、人間が人間であるかぎりひろげていかなくてはならないのである。親と子のまわりには兄弟という同心円があるだろうし、そのまわりには親族・同族という同心円があるだろうし、そのまわりには朋友という同心円があるだろうし、・・・・という具合に、『愛の同心円』をひろげていくのが人間である、と儒家は考える。そして最終的には国家という同心円、そのまわりには世界という同心円がある。これが『大学』に言う『修身→斉家→治国→平天下』という『同心円拡大の統治』の基礎となっている。」