小倉紀蔵「入門朱子学と陽明学」その3 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「儒教とはいかなる思想運動かつ宗教であったのか?儒教とは何に対して最も恐怖した世界観であったのか?

ひとことで言えば、それは、人間分裂と社会分裂に対する、異常なほどの恐怖心であった。人間が孤立化し、断片化し、そのことによって社会の秩序が歪になり崩壊することを極度に恐怖した人々の心が生んだ思想であった。孔子こそ、その恐怖心の権化だった。」


「それでは儒は、この人間分裂と社会分裂の恐怖に対して、何をもって対抗しようとしたのか。ひとことでいえば、それは『美』である。仁だとか孝だとか礼だとかいろいろな概念で孔子は自らの思想運動を説明しているが、その根本になるものは何かという問いに抽象度を上げてこたえるなら、美である。ただこれは孔子が『美』という漢字によって特定の概念を語ったという意味ではない。孔子の語ったことのすべてをくくる大コンセプトを現代の言葉で表現するなら、美という一語になるだろう、ということである。儒とはこのように、美を中心として人間と社会に秩序を形成しようとして思想集団である。」


「それならば、美の中身とは何なのか。つまり儒教とは何か。儒教は思想であり哲学であり、また宗教でもあり統治理念でもあり芸術理念でもあるという多面性を持っている。そのような多様性をすべて説明できるような定義は困難だが、私なりに規定してみると次のようになる。」


「儒教とは、血の連続性及び超越的存在(天)の合一感を基本にして、生者と死者を包摂した愛と知と美の共同体を構築する宗教思想であり、かつ、その愛の道徳的エネルギーを外部に拡散する変革運動によって他者への統治を実現し、世界的な文明共同体を成就しようとする政治思想である。」


 これまでとは違った読書感覚である。