田中康二「本居宣長」その9 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「宣長は論争を好んだ。持論と異なる説に対して容赦なく反論し、結論が同じでも論理的手続きに疑義がある場合には、これを批判し、批正した。もちろん、宣長その人は決して好戦的な性格であったわけではない。むしろ寛容な精神を持ち合わせた、人間的魅力溢れる好人物であった。それゆえ立派な弟子が数多く育っていったのだ。それがひとたび学問を相手にすると、持ち前の厳格さと厳密さが遺憾なく発揮され、完膚なきまでに相手をねじ伏せた。それは学問に対する誠実さの反映と考えることができる。宣長自身は論争というものについてどのような見解を有していたかがわかる叙述がある。」


「総じて争いであるということで議論をしないのは、道を思うことが粗略であるからである。たとえ争いであっても、道を明らかにすることこそ学者の本望でございましょう。また、良し悪しを互いに言い合ううちに、自分も相手もよい考えがふと思い浮かぶものでありますから、議論は益が多いものでございます。」


「『葛花』論争というものがある。『葛花』とは何か」


「そもそも天下の学者は、千年以上前から漢籍の毒酒を飲んで、その文章表現の味わいのよさに耽溺して、誰もみな酔い乱れていることを自分自身では悟ることができず、私のようにたまたま直毘神の霊力によって醒めた人がいて、この人を諭すけれども、私はまだ酔っていないとばかり言って、ますますかの毒酒を強いて飲ませて、ますます酔い乱れさせることの悲しさが、見るに堪えないので、これを嘗めて酔いから醒めよということで、摘んできたのがこの葛花なのだ。」


宣長の『直霊』に対し、市川鶴鳴という儒学者が『末賀乃比礼』で聖人の道を尊重しない宣長を批判し、その批判に対する反論が『葛花』とのこと。ちなみに鶴鳴が批判したのは『直霊』ではなく、宣長の『道云事乃論』であると小林秀雄は指摘している。