田尻祐一郎「江戸の思想史」その3 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「蘭学は、オランダを通じてもたらされた西洋学であるが、それは杉田玄白らによる『解体新書』の翻訳から始まる。西洋の近代科学は物理学を軸に発展したが、蘭学は、医学からスタートする。この理由は、単純ではなく、その一つの要因は、江戸の知識人と医学との親しい関係にあるだろう。若い仁斎は、そんなに学問がしたいなら医者になって漢籍を読めばよいと勧められたし、宣長は、母に勧められて医者となり、医業の傍らに読書生活を続けた。自由に書物を読む暮らしにあこがれる知識人は、医者として生活を支えることが多かったのである。中国や朝鮮のような科挙社会では、医者は手足を動かす専門(技術)職であり、知識人から見ての地位はそう高いものではない。しかし日本は違った。こういう独特な事情が、蘭学が医学からスタートすることに、どこかで関わっているのだろう(さらに安藤昌益や三浦梅園も、また平田篤胤も医者だったことを考えれば、江戸の思想史と医学の関わりには、さらに考えるべき深いものがある)。」


「前野良沢は、豊前国中津藩の藩医の養子であり、青木昆陽のもとでオランダ語を学んだ。『解体新書」翻訳グループの中でもっともオランダ語に秀でたが、『解体新書』翻訳者としては名を連ねていない(訳文の完成度を重視する良沢は、一日も早く出版したい玄白と意見が合わなかったらしい)。その良沢は、オランダ語の入門書として『蘭訳筌』を著した。『筌』は魚をとらえるときの竹製のワナ、辞書はテキストを正しく読むため、古文辞を習熟するための道具で、辞書にすべてを求めてはならないという徂徠の編んだ字書『訳文筌蹄』を踏まえた書名である。蘭学者たちは、徂徠の古文辞学からも深く学んでいた。」


 全体像がつかめる本である。