田中康二「本居宣長」その7 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「『紫文要領』とは源氏物語の評論であり、『物のあはれを知る』説をはじめて公にしたものだ。『物のあはれを知る』説とは何なのか。和辻哲郎はこれを実に的確に要約している。(日本精神史)」


「『もののあはれ』を文学の本質として力説したのは、本居宣長の功績の一つである。彼は平安朝の文学、とくに源氏物語の理解によって、この思想に到達した。文学は道徳的教誨を目的とするものではない。また深遠なる哲理を説くものでもない。功利的な手段としてそれは何の役にも立たぬ。ただ『もののあはれ』をうつせばその能事は終わるのである。しかしそこに文学の独立があり価値がある。このことを儒教全盛の時代に、すなわち文学を道徳と政治の手段として以上に価値づけなかった時代に、力強く彼が主張したことは、日本思想史上の画期的な出来事と云わなくてはならない。」


「宣長は、『物のあはれ』を男女の恋愛と不可分の関係にあると考え、次のように説明している。」


「たとえば、人の娘に思いを寄せて真剣に恋い慕う人がある時に、その男がたいそう恋い慕って命も尽きてしまうほどに思って、そのことを伝えた時に、その女がその男の心を哀れと思って、父母に隠れて密かに逢うことがあるとする。これを論ずれば、男がその女を愛らしいと姿を恋しいと思うのは、物の心を知り、物の哀れを知ることである。どうしてかというと、容姿の美しい女を見て美しいと思うのは、これは物の心を知ることである。また、女が男の思いを哀れと思い知るのは、もとより物の哀れを知ることである。」


「物語は儒教や仏教による戒めのためにあるという考え方は、当時においては前提や常識であって、これを疑う者はいなかった。それゆえ宣長がそれらを真っ向から批判したのは画期的なことであったのである。もちろん宣長は儒仏による戒めそのものを否定しているわけではない。それは生きていくうえで必要なものであると認めている。宣長はそのことを花と薪の比喩によって説明している。物語を教誨として読むのは、花をめでるために植えてあった桜を生活のために切って薪にするようなものである、というのである。確かに薪は日常生活の上で必要であるが、よりによって桜でなくてもよいだろう。薪にする木はほかにいくらでもある。それに対して、さくらは花をめでるに最も適した花だからである。この卓抜な比喩によって明らかなように、物語は『物のあはれを知る』ために書かれたものだというのである。物語を桜に喩えたのは宣長による最高の褒め言葉である。終生桜を愛したように、宣長は源氏物語を溺愛した。儒仏の教誨説によって、源氏を薪にしてはいけない。『物のあはれを知る』説は、儒仏の教誨説を排斥することとセットで考え出された仮説だった。」



 「松坂の一夜」から2週間後にこの『紫文要領』を擱筆したという。