田中康二「本居宣長」その6 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「人と人との出会いは偶然ともいえるが、偶然では済まされない強い絆が見える場合もある。一般に科学では説明がつかない偶然の一致のことをユング心理学で『共時性』という。この『共時性』を東洋思想によって解明しようとして心理学者ジーン・シノダ・ボーレンは、インドに伝わるある諺にたどり着いた。それは次のようなものだ。弟子に心の準備が整ったとき、師は自然に現れる。奇妙な暗号はいつの世にもある。心理学と東洋思想との出会いも不思議な縁というほかはない。」


「宣長と賀茂真淵との出会いもまた、単なる偶然と考えることはできない。宣長と真淵との出会いを『松坂の一夜』という。時は宝暦13年(1763)5月25日のことであった。京都留学から帰郷した宣長は、医師として生計を立てる一方で、日本古典の研究にいそしんでいた。在京中に契沖の著作と出会って国学に開眼していたが、真淵の『冠辞考』を見て衝撃を受けた。一体何が書いてあるのか、さっぱりわからなかったからである。そのことを宣長は次のように回想している。」


「こうして『冠辞考』を最初に一覧したときには、全く思いがけないことばかりで、自分の考えとあまりにも遠く、怪しい説に思われて、全く信じる気持ちはなかったけれども、やはり何か理由があるに違いないと思って、今一度読み返してみると、ごく稀には、なるほどそうでもあろうかと思われる箇所も出てきたので、さらに繰り返し読むと、ますます確かにそうだと思われることが多くなって、読むたびごとに信じる気持ちが出てきて、ついに古代精神と古代語が、本当に『冠辞考』の通りであることを悟った(『玉勝間』二の巻(おのが物まなびの有しやう)。」


「むさぼるように『冠辞考』を読みふけった宣長は、いつか真淵に会って直接教えを受けたいと考えるようになった。―――はたして真淵一行は、伊勢神宮からの帰りに再び松坂に立ち寄った。―――話は万葉集の研究から古事記の研究へと進んでいった、宣長は古事記に興味を持っているという。真淵は万葉研究は存分にしたが、古事記研究にまでは手が回らないという忸怩たる思いを抱いていた。真淵と宣長、両者の考えは完全に一致していた。宣長にとっての真淵も、馬淵にとっての宣長も、お互いの欠を埋めるベター・ハーフであった。真淵の学識に宣長の才学と若さがあれば、向かうところ敵なしである。67歳の老学者は34歳の前途有望な学者に希望の光を見出した。」


 各章の導入部分が面白い。『冠辞考』とは、万葉集に見える枕詞の研究書