田尻祐一郎「江戸の思想史」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「江戸の思想史を辿るにあたり、まず中世から近世への社会の変容という問題をめぐって、私なりのスケッチをしておきたい。この点で参考になるのは、独創的な東洋史学の樹立者として知られる内藤湖南の有名な発言である。湖南は、講演『応仁の乱に就いて』の中で、次のように述べている。」


「大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、応仁の乱以後の歴史を知って居ったらそれで沢山です。それ以前の事は外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だといっていいのであります。」


「湖南は、応仁の乱を契機として、日本社会の質はかってない大きな転換を遂げたと言うのである。湖南の講演は、それがどういう転換であり、転換によってもたらされてものが何であったかという点には残念なことに立ち入らない。しかし、『われわれの真の身体骨肉に直接触れた』という表現から推察すれば、湖南が、人々の身体的な感覚や心性の次元にまで降り立って、その転換を見据えていたことは間違いないと思われる。」


「湖南のこの講演にも肯定的に触れながら、網野善彦は、『南北朝動乱期を境にして、社会が大きく転換する』ことを強調し、それを、『社会構成史的次元の時代区分と異なる次元―民族史的次元に関わる転換』としてとらえようとした。『社会構成史的』とは、奴隷制・封建制・資本制という社会の継起的な発展段階を指すのであろう。こういう発展段階論を基本に据えながらも、それとは異なる次元での社会の質の転換を網野は見ている。」


「南北朝の動乱は、湖南の指摘する応仁の乱の半世紀以上は先行しているわけで、両者の歴史像は細部にわたって完全に一致しているわけではない。しかし、問題を巨視的にとらえることのできた二人の歴史家の着眼は、大きく言えば見事なまでに共通しているとしてよい。」


  

  真の身体骨肉に直接触れたレベルで江戸の思想史を読み解いていきたい。