田中康二「本居宣長」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「昔から宣長は有名人だった。たとえば戦前や戦時中、宣長は日本人が最もよく知る偉人のひとりであり、賀茂真淵との出会いを描いた『松坂の一夜』は小学校の教科書に定番教材だった。つまり、宣長は国民の常識だったのである。だが、宣長は必ずしも正確に理解されていたとは言いがたく、誤読と曲解にさらされていた。還暦の年に詠んだ、『敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花』の歌は、散る桜を詠んだ歌として、戦争で命を落とす(散華)歌に読み替えられた。どこをどう読んでも朝日に映えて咲きほこる桜なのに、である。『松坂の一夜』や敷島の歌を知っていた過去の日本人も宣長を正しく理解していたと言えない。その状況は今も変わらない。宣長の全貌を理解するためには、それを解説する本が必要である。」


「ところが、書店に並ぶ宣長本は等しく偏向していると言わざるを得ない。私が研究を始めた二十数年前からその状況は変わっていない。各自が思い思いの恣意的な宣長像を好き勝手に描いているにすぎないのである。木を見て森を見ずという諺がある。自分の関心のある領域だけはやたら詳しいが、それ以外は眼中になく、描き出すところが全容からほど遠いものを揶揄してこのようにいう。木を寄せ集めれば森になるというわけではない。宣長についても同じで、『古事記伝』の著者と『物のあはれを知る』説の提唱者、そして係り結びの法則を確立した者という一面的な把握を持ち寄っても、宣長の全貌からはほど遠いのである。このうちの一つを極めるだけでも相当すごいことではあるが、それでは宣長の全体像に到達することはできない。」


 まずは問題意識からであり、最後の部分からの抜粋であるが、著書全体に大変わかりやすく、よく整理されている本である。