「ウォルフレン」その4 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「普通の人びとも、エリートも、ジャーナリストもこぞって、『変革』こそ日本の唯一の希望の光であると主張している時代にあって、これまでも様々なことが変化の先触れとして打ち出されてきた。石原都知事の外形標準課税構想も、やはりそうだった。なんといっても彼は都知事選で、『東京から日本を変える』と公約していたのだ。そしてこの新税構想は、派手なうえに、一見、大衆受けする、いかにも石原らしい政策でもあった。大多数の政治家とちがって、石原は一般の人々が政治の道具として利用できるということを知っている。また票集めのために金をばらまくことだけが政治家と一般の人々の関わり方ではないことも理解している。彼は日本の国民が抱いている現状への不満をずいぶん前から感じとっていて、その不満に火をつけるという扇動家の手法でこれに応えてきた。彼の読みどおり、多くの日本人の心の奥底には、彼が口火を切る前から、自分たちのを脅かす『怪物』のイメージがぼんやりとした形で存在していた。陰謀をたくらむ外国人の世界と無能な官僚の世界だ。どちらも、日本が本来あるべき理想の姿になるための妨げになっていると、多くの人が漠然と感じていたのである。石原の発言にはたいてい、なるほどと思わせる点が多々ある。しかしじっくりと検討してみると、そのあまりの単純さに背筋が寒くなる。石原が言うとおり、日本企業が持っている多額のドルがアメリカ経済を支えている大きな要因になっているのは間違いない。しかし、これが日本支配をもくろむアメリカの謀略によるもので、旧・大蔵省は『アメリカ財務省の出先機関』だと決めつけるところまでいくと、事実を全く無視した話になる。この多額のドルは、現状を維持しようとする旧・大蔵省の政策が生み出したものなのであるから、日本人は外国に対して『ノー』というべきだと説いた石原は、今度は、経済的に保護された銀行という新しい悪役を、不況に苦しむ日本の市民の前に差し出した。しかし多くの大衆迎合的な政治家と同じく、石原も責任ある分析と根拠のない批判とをないまぜにしている。また、自分の主張が招く結果については全く考えていない。それゆえ、例えば日本の政治・経済の変革というテーマを取り上げて、護送船団方式と非難するとなったら、旧・大蔵省は銀行をどんどん破綻させるべきだった、などとのたまう。そのような発言をまじめに受け取ることができるだろうか。当局が銀行に対する支援を打ち切っていたら、日本の経済システム全体がどうなっていたことか。読者のほとんどが、周囲のどこをみわたしても惨憺たる状態、という体験をすることになっていただろう。」


 

 尖閣列島買収をぶち上げて派手なパフォーマンスをしたが、その結果はどうだったか。自分は  さっさと途中で投げ出し逃げてしまった。新銀行問題も同じ。