「ウォルフレン」その3 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「55年体制が確立され、しかもアメリカの戦略的、経済的保護が与えられるなかで、完成された国家を築くことは不要になったように思われた。国家というものは、他国との付き合いにおいてとくにその存在感を発揮する。これは自国の市民を守るという機能に次いで、二番目に重要な国家の機能である。戦後の日本はこの能力を発達させる必要に迫られなかった。国家が対外的に認知されるためにあらゆること――外交、軍事、さらには経済的利益の守るための外交交渉まで――は、アメリカが日本の代わりにやってくれた。アメリカの保護のおかげで、日本という国は、国家として未完のまま、そして政治的説明責任の中枢をもたないまま、存在し続けることができた。東京の権力保持者たちは、世界における日本の役割について責任をもって考える必要に迫られることはなかった。その結果、日本はいまだに基本的な部分でアメリカに大きく依存し続けている。日本の対米依存は、ヨーロッパにおけるアメリカの同盟国に比べ、はるかに大きい。」


「政治的暴走から国民を守る国家が存在しなかったために、日本人は、1930年代、40年代に悲惨な体験をしなければならなかった。にもかかわらず、55年体制によって『山県の遺産』がふたたび拡大された。自民党の政治家たちは、10年もしないうちに、内閣を構成する政治家の基本的な役目は、職業官僚を監督することだということをすっかり忘れてしまったようだった。現役官僚と自民党政治家に転身した元官僚が非公式にタッグを組んで、官僚がコントロールされない権力を行使つづけることをさらに容易にしたのである。これはつまり、法体系が官僚の支配の下にくるということであり、戦後日本の大きな政治的不幸の一つといえる。日本の司法機関は今日、本当の意味で独立していない。最高裁判所事務総局にコントロールされ、脅しをかけられているのである。」



 マレーシア航空の墜落事件について、日本はもっと責任ある発言をせよと、米国政府が云っていたという記事があった。