「思い出」その8 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「頭が悪くなると絵をかくと前にもちょっと申しましたが、この病気が起こると側にいる私たちも困るのですが、第一自分も苦しいのでしょう。それを逃れる一つの方法が絵であったことは確かだと思います。だから絵は写生風のものより、頭にあるものを勝手に描くというふうに見受けられました。そうしてそれは風景にしても人物にしても現実とは飛びはなれた浮世ばなれのしたものばかりでございました。」


「このころしきりと描いていたものは、日本画とも水彩画ともつかない、みずえの紙に描いた妙ちくりんな絵でした。よくは存じませんが、絵の具は水彩絵具でしょう。日本の筆で、日本画みたいな線を引いて描いたものです。それには根気よく幾枚も幾枚も描いておりました。」


「一枚絵ができますと、それを一月も唐紙にピンを止めておいて、毎日眺めてなおしたり、人に批評をきいて筆を入れたりして、それでもなお見あきないとなると、初めて表具屋へやって表装をさせました。だから一日一日模様が変わって来て、昨日は松林だったのが今日は山になり、峰がわかれわかれになっていたのが、いつの間にやら一つの大きな山に変わっていたり、鳥が多くなっていたり、そうかと思うと大きな白鳥みたいだった鳥が、次の日には家鴨くらいになっていたり、できあがるまでには千変万化するのですから、できた後でも子細に見ると、いりもしない横だの縦だの線が入り乱れて跡をのこしているのが、山の腹やなんかに見えるのがたくさんあります。そうしておいて、これでいいというところまでやってみないと気がすまないらしいのです。ずいぶん惨憺たるものだなどと口の悪い皆さんがから批評されていたことがあります。そのまた批評にも容易に降参する分じゃないのですが、しかしその道で心得があるとか一家をなしているとかいう方の批評は、素直に求めきいて、手を入れるというふうでございました。これは絵だけでなく、何事においてもそういうふうがあったと思います。」


 「漱石の思い出」は、小説よりも面白い。完