「漱石とその時代」その14 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「次の新聞小説は、もとより彼にとっては起死回生の作品でなければならなかった。そこで『田舎の高等学校を卒業して東京の大学に這入った三四郎』を登場させる。漱石は、大学の新入生を主人公にしようというのである。」


「三四郎はまず、『同輩だの先輩だの若い女性だのに接触」しなければならない。なかんずく『若い女性』は、この小説の成否の鍵である。漱石が『三四郎』で、『野分』以来の文壇の不評を一挙に吹き飛ばす必要に迫られていたとすれば、どんな『若い女』が描かれるかにこそ、作者の力量がかかっているといわなければならない。」


「それは『平凡』(二葉亭四迷)のお糸さんでもなければ、『俳諧師』(高浜虚子)の女郎上がりの十風の細君や、『女義太夫』の小光でもあり得ない。これら水商売の水に染まった玄人女なら、二葉亭によっても虚子によっても、いくらでも描き分かられている。漱石が今描かねければならないのは、彼にしか描けない女、『小説神髄』以来の日本の小説に、いまだかって登場したことのない新しいタイプの女である。つまり彼は、大学社会の周辺に生きる知的で都会的な素人女というかたちで、この『若い女』を『田舎』での三四郎の前に出現させることにした。それが里見美禰子であることは、あらためて言うまでもない。」


 また、三四郎を読みたくなった。