夏目鏡子「漱石の思い出」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「鏡子が漱石と生活をともにした二十年間、一日も欠かさず漱石が狂気の沙汰を演じたわけではない。周期的に訪れた″狂気の時〟の方が遥かに短いのである。しかも自分は小説家だから、常軌を逸しても許されるのだとか、ものを書けないイライラを家族にぶつけてもよいのだという傲慢さや身勝手さを、漱石という人は微塵も有してはいない。彼を恐ろしい人に変えたのは神経衰弱という病気であって、頭が妙な膜で覆われていない時の生の漱石は、稀にみる心の暖かい物わかりのよい優しい人だった、とも母はよく言っていた。実際小説を書くために呻吟している漱石を筆子は一度も見たことがなかった。早稲田の家の、書斎の回りの廊下などで、どんなに子供が騒いで走り廻っても、一向に平気で小説を書き続けていた。隠れのぼをして筆子の弟の友達が書斎に入り、胡坐をかいて小説を書いている漱石の股の中にじっと隠れたこともあったが、そんなことを漱石は気にもとめなかったそうである。」


「晩年には、随分よい父親だった時も多かったという。しかし幼い時からしばしば、漱石の神経衰弱の爆発の対象となった筆子とすぐ下の妹の恒子だけは、骨がらみ恐怖が身に沁みてしまって、そんな時でも心から漱石になれ親しむことは出来なかったらしい。」


 漱石の孫、半藤末利子の話である。


末利子は作家松岡譲と漱石の長女・筆子の間に四女として生まれた。作家の半藤一利は夫。

言うまでもなく鏡子は漱石の妻