「漱石とその時代」その15 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「文科大学講師として学生に接していた漱石が、『三四郎』で大学生を描くにあたって有利な立場に立っていたように、大学の卒業生である漱石は、大学出を描く上でも有利な立場を占めているに違いない。とはいうものの明治四十年代の大学出は、決して明治二十年代の大学卒業生と同じものではない。つまり『それから』には、時代が、日露戦争後の世代が、描かれなければならない。主人公の年齢を三十歳とするなら、作者より一回り年下の、たとえば明治十二年生まれの大学を出た人間を想定しなければならない。」


「『三四郎』の主人公である小川三四郎は、九州出身の田舎者であった。これに対して『それから』の主人公長井代助は、むしろ都会育ちのディレッタントでなければならない。田舎者が時差を背負っていて、明治四十年代になっても依然として日露戦前の気風を留めているのに対して、都会生まれの都会育ちは、得てして骨の髄まで時流に染め上げられているものだからである。しかし、田舎での三四郎が、江戸っ子の作者と対照的な存在であったのと同様に、代助もまたある意味で作者に対極に位置する人物でなければならない。」


「『朝日新聞』に掲げた『予告』に、漱石は、『この主人公は最後に、妙な運命に陥る』と、珍しく予言めいたことを記している。そうであればなおさらのこと、作者と主人公が、『妙な運命』を共有しているわけではないことを読者に示すためにも、『それから』の代助は、漱石とは全く異なる境遇に生まれ、異なる趣味と価値観を有する人物として描かれねばならぬはずである。」


 妙な運命とは、姦通である。