「漱石とその時代」その13 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「『漱石とその時代』第三部の稿を起こしたのは、平成2年11月20日、時あたかも三田祭で、大学が1週間ほど休みになったときのことであった。筆を擱いたのは、平成5年6月24日である。この間、平成3年8月から10月までのほぼ3か月にわたって、私は化膿性脊椎炎の検査と治療のために、済生会神奈川県病院と慶応病院に入院した。つまり、入院による中断を挟んで、第三部執筆のために2年7ヶ月の時日を要したことになる。」


「顧みればこの仕事が第二部まで本になったとき、今は亡き中村光夫氏から『あとを急いで書かないほうがいい。三十代の人には、五十になった人間に見えている景色が、まだ何も見えないのだからね』と、懇ろに忠告されたことがある。なるほどそうなものかと時期を待っているうちに、私はいつしか五十を過ぎ、六十に近づいた。漱石はそのうちに、私より若死した文学者たちの仲間入りをしていた。」


「第三部を書きはじめてみると、『一切は、漱石の作品という一等資料がどこまで味読出来るか、という己の力量にかかっている』という小林秀雄氏の言葉が、しばしば耳朶に響いた。小林氏はこの言葉を、23年前「漱石とその時代」第二部のために寄せられたのである。その小林氏も、すでに逝いて久しかった。」


 第三部のあとがきから抜粋