「漱石とその時代」その11 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「読売新聞には、『X、Y』という署名の『文科大学学生生活』という読みものが連載されていた。『X、Y』とは、実は、『読売』の記者、正宗白鳥の匿名である。当時本郷森川町に下宿していた白鳥は、帝国大学の教授や出身者で文筆にたずさわっている人々を、ときどき訪問しては記事を書いていたのである。」


「『教師などになりたくはないが、食うためにやむを得ぬのだ』という主張を正直に奉じ、世間の事業とか名利とかをほとんど念頭に浮かべていない。大塚博士と仲がよいのも自ずから性質が似ているからであろう。先生多くの人に接するを好まず、自分の好きな書物を道楽に読んで静かに日を送ること多く、また気の向いたときは夜一時までも、二時までも筆を執りて、随感を写し、俳句等を作ることあり。一体嗜好よりいへば、教師より文士として毎日誰にも累はされず勝手なことを書く方がよいのだが、生活上望通りにならぬと自白している。先生のかく覇気とか野心とかいうものを持たぬのは、一は俳句趣味の修養により、一つは身体の羸弱によるという者あり。その日常の生活はホトトギス誌上の『吾輩は猫である』という一文によりても、一斑を窺ひ得べく、久しい間神経性胃弱で、外界の騒がしき刺激に堪えへず、なるべく世を離れて気楽に暮らさんとするのが終生の目的したがって人の訪問をも喜ばず、いやな奴が来て、長座すると、終に耐えられなくなって、露骨に、『君帰ってくれたまえ』と言い引き留めることなどついに言いし事なし。その代り自分の好きな人となると何時までも語り合い、高浜虚子なぞとは、差向いで首を傾け、俳句俳体詩に徹夜することもありという。」


 陶淵明の世界を彷彿させる。