「漱石とその時代」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「今夜私は東京大学の大広間で、進化論に関する三講の第一講をやった。教授数名、彼らの夫人、ならびに五百人ないし六百人の学生が来て、殆ど全部がノートをとっていた。これは実に興味があるとともに、はりあいのある光景だった。・・・・・聴衆は極めて興味をもったらしく思われ、そして米国でよくあったような宗教上の偏見に衝突することなしに、ダーウィンの理論を説明するのは、誠に愉快だった(モース『日本その日その日』)。」


「モースは学生たちの虚心な態度に狂喜していた。彼はいわば進化論者であるために、母国大学の教壇を拒否された人間だったからである。ダーウィニズムがキリスト教諸国に与えた衝撃はそれほど大きかった。それはキリスト教の信仰に基づく人間中心の世界観を、根こそぎにするような発見であった。それによって誰よりも傷ついたのは、当のチャールズ・ダーウィンである。彼は一介のアマチュア博物学者にすぎず、偶像破壊を意図したわけでもなければ、教会の権威に反逆を企てたわけでもなかった。しかし、彼は、5年間にわたるビ-グル号の航海から得たあらゆる証拠は、人間が世界の中心であり、他の被造物とは非連続な存在だという正統的教義が、一片の空想にすぎないことを物語っていた。」


「進化論は日本の知的エリートたちに新しい自然観をもたらした。それは一言でいえば生物学的秩序である。『種』は不変ではなく変化する。創造したのは神ではなく自然である。人間の先祖はアダムとイヴではなく猿であり、もとをたどればヒトデやアメーバにまでつながっている。つまり万物は進化の鎖につながれ、系統樹をつくりながら『自然淘汰』と『適者生存』の残酷な二大法則に支配され生成発展している。」


 薀蓄の一つ