「天才の秘密」その4 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「モーツァルトは、アウグスブルクで二つ違いのやんちゃ娘(従妹マリア・アンナ・テークラ)と恋に落ち、後世の音楽学者を戸惑わせ、困惑させるようなドキュメントを残した。『ベーズレ書簡』と名付けられた九通の恋文である(ベーズレとは従妹の俗称)。『最愛のベーズレちゃん!・・・・・・僕の肖像画を送ってくれなきゃ、誓って君の鼻の上にウンコをたれるぞ。そうすりゃ、あごの下までブランコだ!!・・・・・・・さあ、花壇の中でバリバリッとウンコしなさい。さよオナラ・・・・』

スカトロジーといわれるこの種の会話は、この時代さして珍しいものではなかったようであるが、かりそめの恋とはいえ、若い女性にこうまであけすけに、よく書けるものだと感嘆せざるをえない。19世紀末、作曲家を『楽聖』と呼んで神聖視する風潮が世を覆った時、この種の手紙は識者を困惑させた。書簡集は収録を避け、話題からは意識的に排除された時期すらあった。」


 こうした書簡に対し、小林秀雄は「モーツァルト」の中で以下のように語っている。


「現在、僕らが読むことができるモーツァルトの正確な書簡集が現れるまでに、考証家達が払った労苦は並大抵のものではあるまい。僅か三百数十通の手紙のフランス語訳の仕事に生涯を賭した人さえある。而も得たところは、気高い心と猥雑な冗談、繊細な感受性と道化染みた気紛れ、高慢ちきな毒舌と諦め切ったような優しさ、自在な感覚と愚かしい意見、そういうものが雑然と現れ、要するにこの大芸術家には凡そ似合しからぬ得体の知れぬ一人物の手になる乱雑幼稚な表現であった。彼らの労をねぎらうものは、これと異様な対照を示すあの美しい音楽だけだとしてみると、彼等もまた悪魔にからかわれた組か、とさえ思いたい。しかし、音楽の方に上手にからかわれていさえすれば、手紙にからかわれずに済むのではあるまいか。手紙から音楽に行き着く道はないとしても音楽の方から手紙に下りて来る小径は見付かるだろう。」