「人生の対話」その4 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

 「日本の大学卒業生で一番困るのは、大学を卒業するのと同時に、学問だけじゃなく文化も卒業しちゃうことなんです。僕はいつも、『卒業現象』って言ってるんですが、ゼミ生の会なんかに顔を出して、ついクラシック音楽の話題になったりすると、必ず誰かが、『私も学生時代はFM放送でよくクラシック音楽を聴いてました』とか、『大学を出てしばらくはN響の定期会員だったんですが』なんてことを言い出すんです。文学の話も同じ。大学生の時はゲーテやトーマス・マン、ロマン・ロランなんかを読んでいる。『マルクス・エンゲルス全集を全巻揃えました』なんてい人もいる。ところが役所や会社に入ると、そういう世界とプッツリ縁が切れちゃんですね。音楽とか絵画とか文学とかは、知的共同体の共通言語なんですよ。世界中どこでも通用する・・・・・。その世界を大学の門を出たとたんに卒業しちゃったら、残るのは自分が所属している組織内の言語だけです。だから、他の組織の人とのお付き合いができない。組織内部の閉鎖的な世界の中で、いうなれば専門化してしまうと、若いころ、学生時代には抱いていたはずの、森羅万象に対する、知的好奇心まで喪失してしまう。最もひどいことになると、自分の属している業界や組織外に対する関心を『悪だ』とまで感じるようになってしまう。そういう人物が組織のリーダー役なんか演じるようになるとまずいんだなあ。個人が不幸になるだけならまだしも、組織の構成員全体に被害が及んでしまう。」


「これからは、個人が自分の存在理由を、自分の力で発見して、自分の力で身に着けなければ生きていけない時代になると思う。組織も大切だけれど、組織を離れても他人から頼られ、必要とされる個人を目指すことですね」


「主体性を持ち、精神的にも独立した個人が、属している組織、業界などの壁を超え、共通言語とを持つ知的共同体の一員として、一切の肩書きなしに、自分の姓名と発言、行動の内容だけで社会の中で屹立しうる人間になること、他人をも、そういう眼で見られる人間になること――更に、そういう人物が、たとえ一人でもいい、この国に増えること」


 丸山の造語といわれる「卒業現象」、「タコツボ」、「ササラ」のくだりから抜粋