「人生の対話」その3 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「相手は美貌の天才ヴァイオリニスト・諏訪内晶子である。ある日、『ステージ演奏は自分のこれまでの蓄積を吐き出す行為だ。このままでは自分の精神の中身がカラになってしまう。』という恐怖感に襲われる。悩んだ末、急遽ステージ・ドロップアウトを決意、演奏活動を中断してアメリカのジュリアード音楽院のマスターコースに入学すると同時に、『私に必要なのは、さらなる一般教養ではなかろうか』と考え、共通の単位取得が可能な提携校であるコロンビア大学にも籍を置く。そしてなんと、政治思想史の勉強まで始めたのである。そこで彼女は丸山眞男の著作に出会う」


「諏訪内がアメリカで目にした丸山の著作は、『現代政治の思想と行動』と『日本政治思想史研究』の英訳本だったと思う。アメリカ人の先輩に訊ねると、『日本の思想、日本人の物の考え方を知ろうとする人にとっては必読の文献です。』という返事が返ってきた。・・・・・

 丸山は、『諏訪内さんにその気持ちがあったあら、お会いしてもいいですよ』と。お訪ねしたとしても、話題の中心は当然音楽になるであろうが、国際的にも有名な丸山の著作を一冊も読んでいないのではいずれにしても話にならない。そう思って、折よく刊行がスタートした『丸山眞男集・全17巻』を全巻予約購読を申し込んだ。『一生かけても通読したい』という意気込みで取りかかったが、1995年9月第1回配本『第三巻・1946―1948』を手にして私は絶句した。一ページ目から歯が立たなかったのである。」


「『難しくて、前に進まないんです。』と夏休みで帰国中の諏訪内から悲鳴が上がったので、丸山にそのまま伝えたら、『解る筈ないですよ。勉強を始めているといっても、専門は音楽でしょう。悪いこと言わないから、『予約はキャンセルしなさい』と伝えてくれませんか。それより『諏訪内さんの音楽観などお聞かせいただきたい』と言っておいてください。」


「彼女は、『私、一生かかっても読みます。アメリカでの学業が終わったら一度お目にかからせてください』と言い張って、そのまま帰米してしまった。丸山はその翌年(1996年)の8月15日、帰らぬ人となる。彼女は丸山の死後、『ある方の論文一つを読み、それを理解し、自らの血肉とするためには背景にどれだけの知識と教養が必要か、私にはまたとない痛切な経験となった』と書いているが、その経験は楽譜の解読と演奏という自分の専門分野にもそのまま適用できることだと、その告白文の後に記していた。」


 「丸山はね、若い女性が大好きだったんですよ。会って、お話ししたりするのが…それに諏訪内さんて、特に美女なんでしょう。」という丸山夫人の後日談もある。