「相田みつを」その3 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「恥ずべくんば明眼の人を恥づべし

これは『正法眼蔵随聞記』という本の、一番初めにでてくることばです。

人の眼、人の批判を気にするのなら、物の筋道、物の道理のよくわかる人、つまり、覚者の眼を気にしなさい。ということです。私流の通俗なことばでいえば、『無責任な世間の評判や、野次馬のうわさなどは一切気にしなくてもいい。その代り、何が本物で何がにせものか?ということのよくわかる具眼者の批判は、肝に銘じて受け止め、心に深く恥じなければいけない。』ということだと思います。」


「同じようなことばを、茶人の千宗旦(利休の孫)が残しております。

愚者千人に褒められんよりも、数寄者一人に笑われん事を恥づべし。

たとえ千人の愚者に褒められても、一人の具眼者に笑われたらそれこそ大変な恥だ、ということですね。つまり、世間的にちやほやと持てはやされることよりも、一人の数寄者に笑われぬよう心すべきだ、というわけです。数寄者というのは、本当の風流のわかる人、本当の茶人、本物とにせものの区別のわかる目利きのことです。『明眼の人』に相当します。」


「道元禅師のことば、千宗旦のことばは、自分への戒めとして、常に心の底にくさびのようにきざみ込んでおりますが、私にはなんともこわいことばです。こういう先人のことばに照らし合わせるまでもなく、おのれの非力、浅学、そして、修業の甘さが身にしみてわかるからです。」