「概略を読む」その9 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「福沢がここで智恵という場合、実は、いろいろな要素が一緒になっていて、未分化なところがあると思うのです。智恵というものについて、私は一応こういうふうにレヴェルを区別してみます。いわば知の建築上の構造です。

情報(information)

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知識(knowledge)

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知性(intelligence)

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叡智(wisdom)」



「福沢が智恵という場合、現実にはこれが全部一緒になっているわけです。先に『聡明叡智の働き』という言葉ができきましたね。それが福沢の知の未分化性、よくいえば総合性を示しています。一番下に来るのが土台としてのウィズダムです。これはいわゆる知識や科学技術学習の程度と必ずしも併行しません。庶民の智恵とか、生活の智恵といわれるのがそれに近いものです。その上にくるのが、理性的な知の働きとしてのインテリジェンスです。聡明叡智の働きを『事物の関係』の判断とか、『大小軽重を弁ずる』とか、福沢が定義しているところから、それは主としてウィズダムとインテリジェンスという、上記の構造の下半分の作用に重きを置かれているように思われます。その一段上のノレッジというのは、叡智と知性を土台としていろいろな情報を組み合わせたものです。福沢自身も『概略』の数年後に出版した『福沢文集』のなかで、学問というのは、単なる物知りではなくて、『物事の互いに関わり合う縁を知る』ことだ、と言っております。ここの学問は大体このノレッジのレヴェルに位置します。一番上の情報というのは無限に細分化されうるのもの、簡単にいうと真偽がイエス・ノーで答えられる性質のものです。クイズの質問になりうるのは、この情報だけです。たとえば第二次世界大戦はいつ勃発しましたか、というのは情報のレヴェルの問題ですが、第二次大戦の原因は何かとなると、知識のレヴェルになり、したがってクイズの問題になりえません。無数の情報を組み合わせねばならないので、イエス・ノーで答えが出せないのです。前に方法論のところで申しましたように、回答としては明らかな誤謬は指摘できますが、『正解』というものはありません。」


「現代の『情報社会』の問題性は、このように底辺に叡智があり、頂点に情報が来る三角形の構造が、逆三角形になって、情報最大・叡智最小の形をなしていることにあるのではないでしょうか。叡智と知性とが知識にとって代えられ、知識がますます情報にとって代えられようとしています。『秀才』バカというのは情報最大、叡智最小の人のことで、クイズにはもっとも向いていますが、複雑な事態に対する判断力は最低です。」


 概略の解説より、丸山本人が言うところの補足説明が面白い。