小林秀雄「福沢諭吉」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「尾崎行雄が、初めて新聞記者になって、福沢のところに挨拶に行った時、君は誰を目当てに書く積りかと聞かれた。もちろん、天下の識者のために説こうと思っていると答えると、福沢は、鼻をほじりながら、自分はいつも猿に読んでもらう積りで書いている、と言ったので、尾崎は憤慨したという話がある。彼は大衆の機嫌などを取るような人ではなかったが、また侮蔑したり、皮肉を言ったりする女々しい人でもなかったであろう。おそらく彼の胸底には、啓蒙の困難についての、人に言い難い苦しさが、畳み込まれていただろう。そう思えば面白い話である。」


「福沢は、読者の為に、言葉を加減したが、思想を加減しはしなかった。緒言の挿話に現れた考え方を、そのまま押進めて考える労を読者が取ったなら、『痩我慢の説』に、つまり、悧巧に立回るより、痩我慢をした方がよろしいという考えに達した筈である。福沢は、『俗文主義』を志したが、俗思想で足れりとした人ではない。一般に誤解されているようだが、彼の文中には、『最大多数の最大幸福』という有名な標語の強調はみられるが、功利主義的な考え方でどこまでいけるかが見えぬほど、彼は頭の悪い人ではなかった。彼の行文は平易であるが、よく読めば、彼の思想は平易ではない。」


 福沢の「学問のすすめ」が気になる。