「丸山眞男」その3 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「梅本克己・佐藤昇と行った鼎談では、こう語っている。『私は無力ですけれども、戦後ずっと考え続けてきたことは、日本という状況の中でリベラルであるということはどういうことなのか、行動によってリベラルであることを実証してゆくには、どういう選択をすべきなのか、ということです』。自由をめぐっては、ヴォルテールの言葉、『私はあなたのいうことに賛成はしないが、あなたがそれをいう権利は死んでも擁護しよう』、そして、ローザ・ルクセンブルグによる『自由というのはいつでも、他人と考えを異にする自由である。』という定義を、戦後の丸山は好んで口にしていた。どんな状況でも自由の価値の普遍性を信じ、リベラルであること、とりわけこの日本でリベラルであること。1945年8月15日は、希望と悲哀をたずさえながら、この課題を追究してゆく営みの、原点となったのである。」


「本郷での戦後初めての講義は、こう始まる。『われわれは今日、外国によって『自由』を当てがはれ強制された。しかしあてがはれた自由、強制された自由とは実は本質的な矛盾である。自由とは日本国民が自らの事柄を自らの精神を以て決するの謂に外ならぬからである。われわれはかかる真の自由を獲得すべく、換言するならば、所与としての自由を内面的な自由にまで高めるべく、血みどろの努力を続けなければならないのである。』」


「『超国家主義の論理と心理』論文は、昭和の世に軍部と政府と国民をおおいつくした、暴力的なナショナリズムについて、その『思想構造乃至心理的基盤』の解明を試みる。この論文によって、丸山は論壇や文壇に、その名を知られるに至る。『朝日新聞』の雑誌評がこの論文を絶賛し、『自分ながら呆れるほど広い反響を呼んだ』と丸山は回想している。翌年の一高生のアンケートでは、『話をききたい人』の最上位に、小林秀雄と並んでその名が上がることにもなる。」