苅部直「丸山眞男」から | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「三島は戦後、丸山を代表とする『戦後民主主義』の風潮に異を唱えつづけたし、丸山もまた、三島については、その武士道論の浅薄さを『悲喜劇』と呼ぶていどの言及しかしていない。しかし、三島が晩年、1970年7月に発表した文章で見せた、戦後社会の空虚さについての述懐を見てみると」


「私はこれからの日本に対して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、ある経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」(三島由紀夫『果たし得ていない約束ー私の中の25年』)


「もちろん、丸山は戦後という時代についてここまで絶望を口にすることはなかった。だが、たとえば『ひがみ根性』や『すねもの意識』に支配された大衆がおたがいの足を引っ張り、ひきずりおろして画一性を保つ、『のっぺらぼうのデモクラシー』に堕した政治の現状の批判する、丸山の発言には、三島が『からっぽさ』を批判するのと、同じ空気が漂っているのではないか。戦後社会が成熟する中、デモクラシーが「日本の國體みたいに』なってしまい、すでにできあがった所与の社会状態として自明視され、そのありようを深く問われなくなったことを、丸山はくりかえし嘆いている。」


 三島と丸山との接点、「文明論之概略」にある福澤の日本人のねたみ嫉妬に対する指摘