「概略を読む」その3 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「古典を読み、古典から学ぶことの意味は―-少なくとも意味の一つは、自分自身を現代から隔離することにあります。『隔離』というのはそれ自体が積極的な努力であって、『逃避』ではありません。むしろ逆です。私たちが住んでいる現代の雰囲気から意識的に自分と隔離することによって、まさにその現代の全体像を『距離をおいて』観察する目を養うことができます。」


「私たちは、どんなに自分では『自由』に思考していると思っても、現代の精神的空気を肺の奥底まで吸い込み、現代の思考範疇をメガネとして周囲の光景を眺め、手近なところでいえば、現代の流行語を十分な吟味なしに使って、物事を論じております。『反時代的考察』と称するものが、実はしばしば自ら意識しないで、時代の雰囲気にとっぷりと浸り、ステロ化された現代のイメージによりかかっているものです。日本のマス・コミや『論壇』のようにトピックの集中性が強い場ほど、そうなりがちです。現代の問題を中心とすること事態はそういう媒体の当然の使命なのですが、話題が刻々の『いま』に集中するほど、さきほどのべた、昔から日本にある思考の底流に乗って水勢を増し、滔滔として私たちを押し流します。そこで古典の古典たる所以をきわだたせるためには、現代流行していない古典、もしくは不評判なテーマに関わる古典を例にとるのがかえって適切だ、というのが私の考えです。」


 冒頭から気になる記述がたくさん出てくる。