「文明論之概略」その3 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「徳とは、徳義ということで、西洋の言葉ではモラルという。モラルとは心の行儀のことである。一人の心の中で快くして、誰にも恥じることがない、ということだ。智とは智徳のことで、西洋の言葉ではインテレクトという。物事を考え、理解し、納得する働きのことである。」


「徳義にも知恵にもそれぞれ二種類の区別がある。第一には、貞実、潔白、謙遜、律儀などの心の内側に属する得を私徳といい、第二の、廉恥、公正、公平、強さなど外のものに接して社会の中で発揮される得を公徳と言う。第三に、物事の理を極めて、これにしたがう働きを私智といい、第四に、人間のやることについて軽重大小を区別して、時と場所によって優先順位をつける智の働きを公智と言う。したがって、私智は工夫の小智、公智は聡明の大智といってもよいだろう。この四つの中で最も重要なのは、第四の公智である。」


「すぐれた叡智の働きがなければ、私徳や私智などを拡大して公徳や公智にすることはできない。それどころか、公と私が相反する場合もある。」


「孟子に、『惻隠(思いやり)、羞悪(悪を恥じる)、辞譲(謙譲)、是非(判断力)は人心の四つの芽である。これを拡大していけば、火が燃え広がるように、泉から水がわき出るようにして広がっていく。これが十分に大きくなれば天下も保てるし、これが不十分だと両親に使えることもできない』とある。これも私徳を広げて公徳にいたることを言ったものであろう。」


 諭吉は、智徳について詳細に述べている。