「文明論之概略」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「中国や日本では、君臣の忠義関係を人間本来の性質であるといい、このように君臣の忠義関係が有るのは、親子や夫婦の関係が有るのと同じことだ、君臣の区別というものは、人間が生まれる前から備わっている性質なのだ、と思い込んでいる。孔子のような人でもこの迷信を脱することができず、彼の生涯の課題は、周の天子を助けて政治を行うことであり、また、窮迫したときには諸族や、あるいは地方官であっても、自分を用いてくれる人があればそこに仕えようとしており、とにかく、土地人民を支配する君主に頼る以外の方法を思いつかなかったのである。」


「結局、孔子も、人間の本姓を十分に知ることなく、自分が生きた時代に目を覆われ、その時生きていた人間の気風に心を奪われて、知らず知らずその中で考え行動し、国を建てるには君臣関係を基礎にするしかない、と思い込んでいたし、それが後の世に彼の教えとして残ったのである。」


「もちろん、孔子が君臣関係を論じた趣旨はまったく誠実な考えから出たもので、その教えが通用する範囲内であれば、なんの差し支えもないだけではなく、なるほど人間のやることの最上のもののように思える。しかし、そもそも君臣関係というのは、人間が生まれて後にできたものであり、これを人間が生まれもった本性ということはできない。生まれつきのものを『本』、生まれて後にできたものは『末』である。末のものについて、誠実な議論があったからといって、それで本のほうを動かすわけにはいかない。」


「例えば、昔は天文学が十分に発達していなかったから、天の方が動くものとばかり考え、その考えを基にして四季の移り変わりについても無理な説を立てている。それは一通り筋が通っているように見えるけれども、地球の方が動いているという『本』の姿を知らなかったゆえに、迷信を生み、また日食月食といった天文現象についての解明もできなかった。事実においても不都合なこともたいへん多かったのである。」


 いまさらながら、あらためて認識させられた。