「考えるヒント」その8 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「孔子は、生きるという全的な難問にばったり出会ったのであり、難問を勝手にひねり出したのではない。難問は、誰彼の区別なく平等に配分されているのが、実状であると見たのである。彼の学問は、これもごく普通の意味で、哲学であったといっていい。哲学とは『死の学び』であるというソクラテスの言葉は有名である。プラトンの思想において、この言葉が性格には、どういう意味を持っているかというような事には、私は不案内だが、この言葉が、何故有名になったかは、解かり易い事だし、その方が大事な事に思われる。恐らく、それは人々の生活経験に直接に訴える、ある種の名言のもつ現実的な力による。誰も、この言葉をソクラテスの気まぐれな思い付きと思いはしない。彼にそういわれた、自分の心に問うぐらいの用意は誰にもあるだろう。孔子の『イズクンゾ死ヲ知ラン』も有名な言葉だが、『論語』も一種の対話編であり、質問次第で、彼は、学問は死を知るにあるとも言えた筈である。ソクラテスも、哲学を始める年齢を、50歳とはっきり決めている。人の一生という、明確な、生き生きとした心象の上に、学問が築かれている点では、二人とも同じなのである。」



 「還暦」からの抜粋