「考えるヒント」その7 | さかえの読書日記

さかえの読書日記

琴線に触れたことを残す備忘録です。

「円熟が定義し難いのは、たとえば自由が定義し難いのと同じく、いずれ、私たちの生きている事実に浸った言葉だからであり、恐らく、両者は、生の深みで固く結ばれているだろう。だが、これは当面の話ではない。なぜ、今日、自由という事が盛んに言われ、あたかもこれに順ずるがごとく、円熟という言葉が軽んじられているか、という心理的問題になれば、これは、かなりはっきりした事だ。自由に円熟なぞ、誰にも出来ない。円熟するには、絶対に忍耐が要る。自由は、空想や自負にすぐ結びつきやすいが、円熟にはそのような要素は更にない。固く肉体という地盤に根を下している。そういうことだと思われる。忍耐の価値を、修身教科書の片隅に追放していい理由なぞ何処にもないのである。」


「忍耐とは、癇癪持向きの一徳目ではない。私たちが、抱いて生きていかねばならぬ一番基本的なものは、時間というものだといっても差し支えないなら、忍耐とは、この時間というものの扱い方だといっていい。時間に関する慎重な経験の仕方であろう。忍耐とは、省みて時の絶対的な歩みに敬意を持つ事だ。円熟とは、これに寄せる信頼である。忍耐を追放してしまえば、能率や確信を言うプロパガンダやスローガンが残るだけである。時間は、腕時計やサイレンの音と化し、経験され、生きられる事を止めるからだ。」


 その6と同じ「還暦」からの抜粋