池田晶子「新・考えるヒント」その2 | さかえの読書日記

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琴線に触れたことを残す備忘録です。

「知恵のない隠居とは語義矛盾であるように、真の学問とは本来は人生の知恵である。生きてみて、暮らしてみて、納得した事柄について反省された言葉である。『学問』というから人は構えるけれども、自分の年齢と対話しながら生きてきた人なら、誰もがやっていることだ。たとえば職人、あるいは芸術家、『円熟』という言葉が必ず時間を内包するということを思ってみればよい。円熟した技芸とは、肉体が時間から学んだということに他ならない。そして学ぶとは、精神が経験を反省することに他ならないのだから、彼らの現存そのものが、時間との対話によって自ら作り出した一つの作品だということもできよう。いや、『技芸』というから人はなお構えるけれども、挫折や失敗を繰り返しつつこの年まで普通に生きてきたわれわれは、あの頃よりはよほど賢くなっていると、まずは思うものだろう。端的にそれを知恵と呼ぶならば、老いることを拒むことは愚かであることを望むことに等しい。老醜といういい方がふさわしい老い方を、逆に選んでしまうことになるのは、皮肉なことではないか。」


 池田の「還暦」というタイトルから抜粋。小林秀雄の「考えるヒント」のタイトルから拝借したものとのこと